| 龍 源 院 〔大 徳 寺 塔 頭〕 (北区) | |
![]() ![]() ![]() 庫裏 ![]() 方丈 ![]() ![]() ![]() 唐門 ![]() 開祖堂、開祖の塔所、一重入母屋造、檜皮葺、昭和に造られた唐様。 ![]() 方丈前庭にある桃山型石燈籠、もとは大宮御所にあったという。 |
大徳寺塔頭の一つ龍源院 (りょうげんいん)は、「洛北の苔寺」といわれ、大徳寺山内で最も古い寺とされている。 南派の法源地本院、大徳寺南派本庵(院)。本尊は釈迦如来像。 ◆歴史年表 室町時代、1502年(1504年とも)、大徳寺72世・東渓宗牧(とうけいそうぼく)禅師(1455-1517)を開祖として、能登の領主・畠山義元、豊後の大友義長(大友宗麟の祖父)、周防国守護・大内義興らにより創建された。(「都林泉名勝図会」)。 また、永正年間(1504-1520)、能州大守・畠山修理大夫義隆建立ともいう。(「都林泉名勝図会」)。 寺名は、当初、「霊山一枚軒」と称した。後に龍源院に改めた。山号よりの「龍」と、臨在禅で唯一という「松源一脈」の「源」から成るという。この松源とは、中国臨済宗松源派の祖・松源崇岳をいう。 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、大阪住吉神社内慈恩寺と、岐阜高山城主・金森長近が大徳寺境内に創建した金竜寺を合併した。 ◆仏像 本尊の釈迦如来像(重文)は、鎌倉時代、1250年に行心の作、京都八釈迦の一つ。 ◆東渓宗牧 室町時代の僧・東渓宗牧(とうけいそうぼく、1455-1517)は、大燈国師8世の法孫、大徳寺第72世住職、大徳寺南派、第104代・後柏原天皇より仏恵大円禅師の号を贈られる。 ◆松源崇岳 松源崇岳(しょうげんすうがく、1139-1203)は、中国・臨済宗松源派の祖とされ、仏果円悟下5世、密庵下2世に当る。 ◆大友義長 室町時代(戦国時代)、周防・長門両国の戦国大名・大友義長(晴英、1478-1518)は、豊後の大友氏の第20代当主・大友義鑑の次男として生まれた。叔父・大内義隆の猶子となる。後に解消されるが、大寧寺の変(1551)により義隆が殺されると、大内氏の新当主となる。毛利元就との戦に敗れ自刃し、西国周防の大内氏は滅亡した。 ◆鍋島岳生 近現代の作庭家・鍋島岳生(なべしま がくしょう、1913-1969)は佐賀鍋島藩の末裔、本名は雄男、後に岳生と号した。東京農業大学出身。重森三玲らによる国一斉古庭園実測調査(1936-1938)の実測製図を担当した。的確な実測、製図には定評があり、実測に基づいて壺庭「東滴壺」が作庭された。 ◆建築 方丈(重文)は、室町時代、1502年建立であり、日本最古の方丈建造物となっている。禅宗方丈建築の様式を完全に残した唯一の遺構とされている。一重入母屋造、檜皮葺。 唐門(附玄関、重文)も同年建立で日本最古、一重切妻造、檜皮葺。 表門も同年建立、四脚門切妻造、檜皮葺。 ◆庭園 庭園は方丈四方に5つある。@北庭の「龍吟庭(りょうぎんてい)」、A南庭の「一枝坦(いっしだん)」、B東の壺石庭の「東滴壷(とうてきこ)」、C「阿吽(あうん)の石庭、こ沱底(こだてい)」、D「開祖堂前庭」。 @北庭「龍吟庭」は室町時代、相阿弥(そあみ)作庭によるという。須弥山式の枯山水庭園で三尊石組、全面を覆う杉苔からなる。苔地は大海、石組は陸地を表している。中央の石組が須弥山で主石の立石は右にやや傾く。その天端は水平に切られる。その左右に二つの石が組まれ三尊石になる。その前に円い板石「遥拝石(礼拝石、座禅石)」が据えられている。 また、須弥山を滝組、臥石を水分石(みくまりいし)とするともいう。また、宝珠を追う雲間から現れた青龍の頭であり、点在する石組はその背鰭ともいう。クロガネモチなどわずかな植栽がある。 A臥石の南庭は「一枝坦」という。開祖・東渓宗牧禅師が、師・実伝和尚より贈られた室号「霊山一枝之軒」より名づけられたという。1980年、喝堂和尚住持の作庭による。白砂と石組、苔地で構成され、白砂は大海を表している。東(左)に楕円の苔山に亀島、西に鶴島、奥に蓬莱山、その脇に板石の「一枝坦」が据えられている。 なお、庭にはかつて、樹齢700余年という中国種の山茶花「楊貴妃」が植えられていた。11月中旬から4月にかけて真紅の花をつけていたという。だが、1980年に枯死している。 B東の壷庭「東滴壷」は、日本最小の石庭であり、白砂に3石と2石の2群5個の石のみで構成されている。一水滴が渓流となり、大河、大海となる様を描いている。1960年、鍋島岳生(1913-1969)の作庭による。重森三玲を中心に行われた全国一斉古庭園実測調査(1936-1938)の実測基づき、石の選定、組み方など無駄がないとされている。「東滴壷」が遺作となった。 C庫裡南軒先の「こ沱底(こだてい)」は「阿吽(あうん)の石庭」ともいわれる。名は、宗祖が住んだ中国河北鎮州城南を流れる「こ沱河」による。 白砂に、秀吉が建立した聚楽第の基礎石が東西に配され、西の穴の空いた石を「阿の石」、東を「吽の石」という。 D西の「開祖堂前庭」には、鶏足山(けいそくざん)に、苔地に石畳、灯籠などが配されている。 ◆文化財 方丈襖絵に室町時代、等春筆「列仙の図」。鈴木松年筆「城蔵主と月にむら雲」一双。 豊臣秀吉、徳川家康が対局した四方蒔絵の碁盤、安土・桃山時代、「天正十一年」(1583年)の在銘がある日本最古の種子島銃などがある。 *参考文献 『古寺巡礼 京都 17 大徳寺』『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』『京の庭』『京都 名庭を歩く』『京都・山城寺院神社大事典』『推賞 日本の名園 京都・中国編』 |
![]() 四方蒔絵の碁盤 |
![]() 火縄銃 |
![]() |
![]() 東滴壷 |
![]() 南庭 |
![]() 北庭 |
![]() 阿吽の庭 |
![]() 阿吽の庭、阿の石 |
より大きな地図で 龍源院 を表示 |
|