| 久我神社 | ||
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久我(くが、くか)神社は、かつて氏神(うじがみ)社、大宮とも呼ばれた。上賀茂神社の境外摂社となっている。 祭神は賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)。賀茂県主(かもあがたぬし)の氏神社であり、航空交通安全の守護神でもある。 歴史 もとは、地主神社が祀られていたとみられている。また、上賀茂神社造営の後に、祖神・賀茂建角身命を祀り、創建されたともいう。 文献の初出は『三代実録』(859)で、「久我神」の名がある。「延喜式」神名帳には、愛宕郡の「久我(くか)神社」とある。平安時代末期に賀茂社の末社となった。 鎌倉時代以降は、「氏神社(うじがみしゃ)」といわれていた。 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で、荒廃したとみられている。 現在の一間社流造の本殿と拝殿は、江戸時代、1628年に再建された。特に拝殿は切妻造で、妻側を正面(いわば横向き)とする珍しい造りという。 近代、1872年に氏神社から、「久我神社」に改称されている。 久我の里 賀茂川上流のこの地に、久我(こが)の里があったとされ、古代氏族賀茂県主(かもあがたぬし)の祖神・賀茂建角身命が祀られている。 賀茂建角身命は、神武天皇の東征の際、八咫烏となって皇軍を導き、勧降神として平定に功をなし、この地の開発に当たったという伝承がある。賀茂社の旧社地も、この久我の里にあったといわれている。 『山城国風土記』逸文(釈日本紀、713より)には、賀茂氏は、大和国葛城地方から山代の国の岡田の賀茂、山代河(木津川)と北上し、最終的に「葛野河(桂川)と賀茂河の会ふ所」である鴨川上流の愛宕(おたぎ)賀茂(久我の国の北の山基)に辿り着いたという。その時期は、4世紀中頃までと考えられている。 なお、伏見区にも同記異音の久我(こが)神社があり、この地も賀茂氏北上の痕跡地として関連があるとみられている。 大宮の森 かつては、広大な社殿と「大宮の森」が繁茂していたという。境内西は旧大宮通に面している。 いま境内には昔の森の面影はなく、樹齢600年だったというケヤキの巨木の切り株と、わずかな森が残されている。 |
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拝殿は切妻造りで、妻側を正面とする珍しい形。 |
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![]() かつての「大宮の森」 |
![]() ご神木だったという樹齢600年の巨木の切り株 |
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![]() 神幸祭(11/3) |
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